| 美味いモノに憧れていた子供時代
私は決して大富豪の御曹司なんかではありません。それどころか、今晩の食事があるかないかを心配するようなそんな家庭だったのです。 小学校の4年生の時から、学校に通いながら新聞配達をしていました。真冬の寒風が吹き荒れるなか、まだ暗いうちに起きだして、雨の日も雪の日も毎朝一日も休まずに新聞屋さんまで歩いていきます。ご近所の家庭ではみんなまだ寝静まっている時間です。 夜が明ける前の真っ暗な冬の夜、冷たい空気の中をトボトボと歩く自分の足音が近所の家の壁にはねかえって響いてくる音を今でもはっきりと覚えています。耳のしもやけは春が来るまで治ったことはありませんでした。暖かい部屋に入ると、かきむしりたいほど痒くなります。唇はガサガサで、鼻の頭もいつもヒリヒリとしていました。新聞は手袋をしていると取り出しにくいので、いつも素手で配達をしていましたから、全部の指がしもやけで赤くはれてました。 学校中で一番汚い手をしてました。 人前で手を出すのが恥ずかしかった。どうして、こんな家に生まれてしまったのだろうか?そんなことを考える余裕もありませんでした。そんなことを考えるてるよりも、食べることを考えてました。お金を稼がなければ食べていけなかったからです。早朝に起きてから何も食べずに配達に行きます。配達が終わって自宅に戻る頃、近所から漂ってくる美味しそうな朝食の匂いに気を失いそうになったこともあります。 「美味いモノを腹いっぱい食べたい」これが新聞配達をしていた頃からの最大の夢でした。大人になったら、美味いモノを死ぬほど食べてみたい。「将来、世界中で一番美味いモノを作る人になるんだ。」小学生の頃に料理人になるという自分の将来を決断してから、一度もこの決心が変わることはありませんでした。食に対する憧れは今にして思えば普通の生活をしている人の何十倍も、いや何百倍も強かったと思っています。
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